昨日の文学フリマで買った本の感想とか。

書評王の島 三

トヨザキ社長責任編集な、書評系同人誌。
この本の目玉は、わざわざ袋とじにしているいろんな雑誌の原稿料が載ってる所だけど、普段あんまり目に出来ない情報があって興味深かった。ぱーっと眺めた限りではやっぱり大手はそれなりな額なんだなあと思った。わざわざ袋とじにしているものを転載する気はないので多くは語らないけど、一つだけ書くとしたら、講談社の単行本の帯文は字数の割にむちゃくちゃ美味しいんだなあと。まあ、それなりに名の知れた人じゃないとまわってこない仕事だろうけど。

他の企画で興味深かったのが「42人の王42冊の本」
この企画は、42人を世界の征服王に見立て、それぞれが世界の人民に一冊だけ強制的に読んで欲しい本を読ませられるとしたらどんな本を選ぶのかという企画で、レビュアーがいいと思った本、好きな本だったり、仕事として関わった本だったりとバラエティに富んだラインナップになっている。
で、この企画で思わずやられたと思ったのが企画のトリを飾る米光一成さん。これまで散々読ませたい本を紹介してきた流れで、「読ませたい本、無し」、いろんな本を読んでいるからこそいろんな人がいるわけで、全世界の人に読ませたい本などない、と企画そのものを強烈に批判する。むしろそんな状況なら焚書するから自分の一冊だけを選べとまで言うのである。といいつつもきちっと一冊『華氏四五一度』を紹介しているのはさすがの一言。この企画、一応五十音順にレビュアーが並べられるんだけど、最後に米光さんの原稿を持ってきたのは狙ってやったのかな、やっぱり。

他には「書評王に輝くお玉稿11本」とかあって、池袋コミュニティカレッジの講座にて、講師も受講生も関係なく無記名で選ばれた「書評王」に輝いた原稿が11本が紹介されていたのだけど、そのどれもが読んでいて紹介された本を読みたくなってくる良いものだった。そういやここで紹介されてる絲山秋子の『ばかもの』、テレビブロスの書評読んで面白そうと思って買ったまま読んでなかったのを思い出したよ。

コワカエ 第四号

小説と、掲載されている批評が一緒に載っているのが特徴の文芸同人誌。
この批評付きというのがミソで、淡々と読んでいた小説にこういう読みもあるのかと新鮮な驚きが得られるのは中々の快感。巻頭の「ゴルフ」は、正直読んでいるうちはそれほどでもないかなあとか思いながら読んでいたのだけど、その批評を読んで評価が一変したし。ま、軽い文体に流されて流し読みしてしまった自分も悪いのだけど。
個人的に一番面白かったのが殿内誠美さんの「夢」。
この小説は初め、マキナと呼ばれる存在とエクスという超常の力を得た少女たちが戦う物語が、読んでいて恥ずかしくなるくらいのベタベタのライトノベル調で語られている。それが、主役の一人、高が戦いによって意識がとぎれると、今度はアニメや漫画が大好きで大人になってそれに類する職業に就いた撮影所勤務の昭雄という男性が現れ、その昭雄がそのような夢を見ていたという場面に切り替わる。この場面は先ほどうって変わって語りが現実的な印象を持たせるようになっている訳だ。
それで、冒頭の話が昭雄の見ていた夢なのかとというと、そう話は単純ではなく、昭雄が眠ると、再び高たちの物語に切り替わり、今度は高が昭雄の行動を夢として見てしまう。という風に二つの異なる物語が夢として交互に挿入されていく構成になっているのだけど、最後の落ちと、そこに至るまでの過程がお見事。なんというか予想をいい意味で裏切られて思わずうなってしまったよ。
あと、この同人誌には「一歩踏み出す前の前」と題して、匿名希望氏による「下読み」レベルの評価基準をチェックシート式で紹介し、実際にこの同人誌に掲載されている小説をそのチェックシートの基準を持って機械的に評価をしている項があるのだけど、それも上手いなと思った。何が上手いと思ったかというと、この項を「匿名希望」で書いたことだ。いわゆる「下読み」の人は、批評家や文芸賞の審査員などと違って表に出ることはない。その表に出ることのない「下読み」の人間のレベルで批評というか評価する場合、署名入りの原稿よりもその匿名性によって論旨の説得力が増しているのだ。特定の人間が見えないある種の無機質感が、「下読み」レベルでの評価としては「正しい」記述なのだろう、と。で、巻末にそういう無機質で故に容赦のない評価がついていることで、この同人誌『コワカエ』全体にほどよい緊張感を与えているのが構成として上手いなあと感心したのだ、うん。
あと、この「下読み」評価でぼろくそに書かれている「ゆがわら想早曲」、登場人物がうん子とちん子というだけで笑ってしまった。小学生か俺は!



まあ、結構殴り書きに近くて何書いてんだよお前って感じの感想になってるかもしれないけど、今日のところはこんな感じで。